グンゼの創業者である波多野鶴吉は、
京都府綾部市(旧何鹿郡)の大庄屋の次男として生まれ、
8歳で波多野家に養子入籍しました。
その後、学生時代には京都で学問の道を志し、
事業も興しましたが次々と失敗。
養家の財産を使い果たし、
失意のうちに何鹿郡へ帰郷します。
故郷で小学校教員として再出発した波多野は、
養蚕農家の子どもが劣悪な環境に暮らす姿を
目の当たりにします。
また、東京上野で開催された品評会で、
京都府の繭と生糸は「
それを受けて組合の結成が進められました。
何鹿郡の蚕糸業先駆者の一人であった梅原和助氏の推薦で、
何鹿郡蚕糸業組合の組合長に就任した波多野は、
先進地への技術者の派遣、養蚕伝習所の開校など、
養蚕・製糸技術者の養成に取り組みました。
そして、蚕糸業の振興こそが天命と悟り、
郡是製絲株式会社の設立を志します。
波多野は製糸業の経営に
もっとも重要なものは繭でもなく資本でもなく、
と語っています。
その大切さを従業員にも説き、
好んで使った「至誠」という言葉は
波多野の人生哲学となっています。
- 1858(安政5)
- 【誕生】羽室家に生まれる
- 1866(慶応2)
- 【8歳】波多野家の養子になる
- 1875(明治8)
- 【17歳】旧制京都中学に入学
- 1876(明治9)
- 【18歳】養家の「はな」と結婚
- 1881(明治14)
- 【23歳】帰郷し、小学校の教員となる
- 1886(明治19)
- 【28歳】何鹿郡蚕糸業組合長に就任
- 1890(明治23)
- 【32歳】キリスト教の洗礼を受ける
- 1893(明治26)
- 【35歳】高等養蚕伝習所を設立
- 1896(明治29)
- 【38歳】郡是製絲株式会社設立
- 1901(明治34)
- 【43歳】郡是製絲株式会社 社長就任
- 1918(大正7)
- 【60歳】脳溢血で急逝