波多野鶴吉の言葉

創業者 波多野鶴吉が、その生涯で残した数々の言葉。その精神は、今日のグンゼの社風に受け継がれています。

「信頼される人が信頼される糸をつくる」「信頼される人が信頼される糸をつくる」「心が清ければ光沢の多い糸ができる」「心が清ければ光沢の多い糸ができる」

人になんとなく善い人と、何となく悪い人とあるように、糸にも何となく良い糸と、何となく悪い糸とがあるが、どこが善いか、悪いかと、取り立てて言うところはなくとも、何となく善い、何となく悪いというのは、全くその糸をつくる人々の心の持ち方の関係である。ここが教育の大切なところ、修養の大切なところである。
心が清ければ、光沢の多い糸ができる。心が直ければ、繊度の揃うた糸ができる。心に平和があれば、節のない糸ができる。心に油断がなければ、切断のない糸ができる。自ら省みて恥ずるところがなければ、力の強い糸ができる。善い人が良い糸をつくり、信用される人が信用される糸を作る。世間の製糸家がこの消息をよくわかるようになってほしいと思う。

「善い人が良い糸をつくる」「善い人が良い糸をつくる」

会社へ持ってくる優良な、これは美しい繭だという繭を穫った人を調べてみると、大抵みな家庭の円満な立派な家内で生産されたものである。真の技術は円満な家庭において、はじめてその光を発するもので、家庭で気の合わぬような人では、決して立派な繭を生産し得るものでないと思う。
製糸家もやはり同じことであって、社長以下重役、事務員、男女職工が、みな一つの家庭におけるように、最も親密に真心をもって働かなければ、ただ金をもらうから働くとか、たくさんの給金をもらいたいから精出して働くとかいうような精神では、決して立派な生糸を製造することはできるものではない。それで自分の会社では、この精神でもって優良なる生糸の生産を心がけております。
聖書に「善い樹は善い実を結ぶ」と言ってあるが、善い樹は善い家庭に生まれ、良い糸は善い人によって作られると思うのであると人格の事業の上に顕現する身近の例をもって、何事にも、まず善い人とならねばならぬことを力説された。

「会社の精神は愛」「会社の精神は愛」

金さえあれば工場はいくらでもふやすことができるが、しかし人物がなくては何の役にも立たぬ。技術の熟達した者は求める事が出来ようが、愛の籠った者は容易に得られない。
会社の精神は愛であるが、先日もある学校の教師がきて、入社したいと言った。そして愛の欠けていることを自白した。これでは雇うわけにはいかぬ。裁縫でも師範学校あたりを出た人は教授法はうまいが、肝心の愛が欠けている。会社は学校と異なり休日に教えるのであるからなかなか骨が折れる、愛がなくては仕事に興味がない。教授法や口先が下手でも、愛でかたまったような人は仕事に熱心である。それゆえ教えられる方も非常に喜んで習うというようになる。

「人を愛するは人を教育するより大なるはなし」「人を愛するは人を教育するより大なるはなし」「品質の良否は、これを造る者の人格に伴う」「品質の良否は、これを造る者の人格に伴う」

向上に就いて考えうるに、社会百般の進歩に伴うて、蚕糸の品質をも向上せしむべき必要あるは、当然の事であるが、殊に生糸は、近年欧米の機業家が手織機を廃し、動力による力織機を用いることとなり、尚其の動力も、年一年に早くなりつつある。而して力織機は、物を云う人の手を省き、物を云わぬ機械の力を藉りて織るのであるから、品質が美しく揃うて、力の強い糸でなければ、使用に堪えぬのである。斯くの如く良い糸を製するには、其の原料たる繭も、亦大いに向上せしめねばならぬ。随って桑葉も蚕種も、共に向上せしむべきは当然の事である。然るに品質の良否は、之を造る者の人格に伴うのであるから、品質を向上せしめんとするには、先づ其の人の人格から向上せしめねばならぬのである。
聖書に「善き樹は善き果を結べリ。悪しき樹は悪しき果を結べリ。善き樹は悪しき果を結ばず、悪しき樹は善き果を結ぶこと能わざるなり。」と教えられてあるが、之を蚕糸業の上に当てはめて見ると、「善き人は、善き繭、善き糸を造り、悪しき人は悪しき繭、悪しき糸を造る。善き人は、悪しき繭、悪しき糸を造らず、悪しき人は、善き繭、善き糸を造ること能わざるなり。」と云うことになる。自分は予て此の事は真理であると信じて居ったが、昨年図らずも之を真実に確むることを得たのである。

「修養は人の為でなく自分の為である」「修養は人の為でなく自分の為である」

諸君の修養は、人の為でなく、自分の為である。事業の為である。
馬術の名人になると、「鞍上人なく、鞍下馬なし」と言うことになるそうであるが、精神が事業に入り、事業が精神となり、事業と人と一致するように修養しなければならぬ。

「『世の中のため』という荷を加える」「『世の中のため』という荷を加える」

自分ははじめ、片荷を負って随分苦しんだものであったが、その後、一荷の荷を負うようにしてから、大層楽になった。
諸君も知られる通り、片荷というものは、きわめて負いにくいものである。一方ばかり重くて、遠路など歩けるものでない。しかしこれが一荷となると、重いけれども平均がとれて、かえって負い易くなり、遠路を歩いても何ともないようになる。
片荷とは、何であったかというと「会社のため」ということである。随分苦しかったが、これに「世の中のため」という荷を加えて一荷となったので、平均がとれて大層よくなった。
諸君のうち、もし片荷を負って重さを感じておる人があるならば、どうか自分のように「世の中のため」という荷を加え、一荷にしてもらいたい。

「金よりも何よりも大切なのは人であります」「金よりも何よりも大切なのは人であります」

新たに分工場を経営する場合には、無論、金がなくてはなりませぬ。しかし、金よりも何よりも大切なのは人であります。本社に近い所であれば、すぐに走ってきて、指示を受けることも出来、また近辺なら、よく本社の事業や精神を知ってくれているから、さほどではありませんけれども、これから新たに経営すべき分は、皆遠く離れておって、土地の人々も、まだ郡是の名も知っておらぬようなわけです。かかる所にいて、よくやろうというには、この会社の事業と精神とを発揮することのできる人物でなければなりませぬ。

「他人の時計では事に間に合わぬ」「他人の時計では事に間に合わぬ」

他人の時計では事に間に合わぬのと同じて、報徳教の善いことだけを知ってこれを実行しなければ何の役にも立たない。

「熟練を親切と以て一定の優美なる生糸を多量に製造する」「熟練を親切と以て一定の優美なる生糸を多量に製造する」

「熟練」は技術指導を徹底し、勤続の安定をはかることで、成果を得ることができる。
「親切」は工女一人ひとりの心の持ち方にかかる。波多野が主張する「親切」とは心をこめた丁寧な仕事と解釈できよう

「自ら敬し、人を敬し、対等の行動をなす」「自ら敬し、人を敬し、対等の行動をなす」

自ら敬し、人を敬し、対等の行動をなして、会社の使命を辱かしめないようにして、ゆこうというには、平素の修養が肝腎であります。

「一所懸命、これが誠意である」「一所懸命、これが誠意である」

誠意とは一所懸命の心である。小事をおろそかにしない。表裏がない。遅怠がない。約束を違えない。責任感もこれより出で、知恵もここから生まれる。成功の基礎である。